2004年11月12日

映画「トゥー・ブラザーズ」

 「世界が泣いた!!」とチラシにあった。映画のキャッチコピーで多いのは「泣く」「恐い」「笑う」だが、このところ「泣く」が勝っているかもしれない。現にこれを観た小さな映画館のもうひとつの上映は「いま、会いにゆきます」だった。これも「泣ける」映画らしい。「世界の中心で愛を叫ぶ」といい、みんなそんなに泣きたいのか?などと思う。それはさておき・・・・・。

 「トゥー・ブラザーズ」は若い友達(?)と観た。ずいぶん若い。小学校の三年生である。彼女は最近ゲームに夢中だ。映画も観るがどうしてもアニメになってしまう。アニメが悪いわけではないが、そろそろ実写の映画もどうだろう。なんとなくそんな気がして誘ったのが「クイール」だった。見終わってから、「ドラマなの?ほんとなの?」と何度も訊かれた。
 こんどの映画はは実写第2弾ということになる。親さんたちも承知してくれて、家でゲームのマニアルを読んでいたそうな彼女をなんとか連れだした。

 驚いたことに最初はジャングルの奥、雌雄の虎の求愛シーンである(隣の三年生が気になる)。よく撮ったものだ。そして2頭の子トラが生まれる。母に見守られて遊ぶ2匹が可愛い。舞台はカンボジア、アンコールの遺跡を盗みに?来たハンターがきっかけになり、父トラは殺され母も怪我をして生死不明。兄弟は別々に少年とハンターに引き取られ、それぞれサンガ、クマルと名づけられて暮らすのだが・・・・。

 サンガは愛してかばう少年(微笑ましい)から引き離され、クマルもやがてサーカスへ売られる。そして大人になった2匹は戦いの場で会う。闘牛ではなく闘虎とでもいうのだろうか。1匹は死ぬ残酷な遊びだ。e映画の観客だけが彼らが兄弟だと知っている。殺しあってしまうのか?思い出すのか?第一のクライマックスだ。
 感動の再会を果たして逃げる兄弟を追う人間たち。火を放たれ逃げ場がなくなったとき、サーカスで学んだクマルはサンガを助けて炎を跳ぶ。第二のクライマックス。そして少年とハンターが見守る中、ジャングルの奥深く去ってゆく2匹を迎えるのは・・・・。

 何度も映るアンコール・ワットの遠景、遺跡の残るジャングル、風景は大きい。本ものの虎を使った撮影も大変だったであろう。
 しかし、当たり前だが、映画の感動と資金の大小は比例しない。政治や人間の利害関係も絡めているが、壮大な景色、動物の愛らしさ美しさに負けて、ストーリーがおざなりである。
 子供にはどうだろうか。やはりストーリーが解りにくかったようだ。関心は当然、少年と子トラの愛情、クマルとサンガの行く末にあり、手に汗を握り、ほっとしたかもしれない。
 最初にチラシを見て、「虎を30匹も使ったんだって」と教えてしまったのを後悔した私は、終わってから、「クマルとサンガってほんとに兄弟なのかなぁ」と訊いてみた。彼女の返事は、「そうだよ、絶対!」であった。


映画「トゥー・ブラザーズ」 2004年 アメリカ
監督 脚本 原作 製作 ジャン=ジャック・アノー
出演 ガイ・ピアース(ハンター) フレディ・ハイモア(少年)
 

投稿者 蒼木そら : 00:21 | トラックバック

2004年10月17日

映画「誰も知らない」 04/10/15

製作: 「誰も知らない」製作実行委員会
監督・脚本・プロデューサー:是枝裕和
キャスト:柳楽優弥(明=兄) 北浦愛(京子=妹)木村飛影(茂=弟) 清水萌々子(ゆき=妹) YOU(母) 韓英恵 寺島進 遠藤憲一 木村祐一 平泉成 串田和美 岡元夕紀子 加瀬亮 タテタカコ(歌=「宝石」も) その他


 映画館で映画を観ることの利点は何か。大きな画面?音響?邪魔がはいらないこと?私は館から出たときの、日常との落差だと思う。一瞬自分の居場所を見失う、その感じ。いい映画にはそれがある。
 「誰も知らない」については「辛いから観ないほうがいい」ときいていた。でも、急に時間が空いて、しかもたまたままだ上映している館があったので入った。ハンカチを用意して。なぜ辛くなる映画を作るのだろうかという疑問ももって。

 実際の事件に基づいた映画だという。12歳の明を頭に4人の子供たちだけで、アパートに置き去りにされ、しかも下の3人は存在を隠して部屋の中だけで暮す。いちばん小さいゆきは3歳ぐらいか。置き去りにした母親に悪気はない。会えば子供たちを喜ばせ、彼らも母は大好きだ。学校へ行く必要はないという母に問題はあるだろう。しかし、映画はそんな追求はしない。子供たちの状況を淡々と描く。音も現実音が多く、ドキュメンタリーのようだ。

 無邪気な母と4人の子供との生活はそれなりに成り立っていた。上の2人はかいがいしく家事をこなす。しかし、母が出て行ってから日が経つにつれ、生活は崩れてくる。明は同年齢の友だちとの遊びを求めて弟妹をなおざりにし、京子は家事に投げやりになる。
 それはそうだろう、だって子供だもの。大人でも(あるいは大人なら)壊れる状況だ。しかしある日、明は弟妹を外に連れ出す。水道もガスも止められての生活の中で、なんと楽しそうなこと!ほっとする場面だ。
 いつも公園にいて学校へ行かない中学生の少女(韓英恵)との交流、こっそり食物をもらえるコンビニ、かすかな外界とのつながりはある。しかし、もし何かあったら、と心配しながら見守る。そして、何か、は起こってしまう。

 あり得ない偶然とか、すれ違いとか、そんな演出はまったくない。涙を誘う場面も慎重に避けられている。ハンカチは必要なかった。
 この子供たちをなんと表現したらいいのだろう。どんな形容詞もウソになる気がする。ただ記憶するのみである。

 映画館を出、しばらく立ち止まって自分の位置を探る。向かいに美術館が見える。入る前にはついでに開催中の有名美術館展もと思っていたが、もうその気はない。
 知らない街のような渋谷の坂を上りながら、急にこみあげてくるものがあった。

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「誰も知らない」公式サイトhttp://www.daremoshiranai.com/
是枝裕和公式サイトhttp://www.kore-eda.com/

観た映画館:シネ・アミューズ イースト/ウエストhttp://www.cineamuse.co.jp/

投稿者 蒼木そら : 03:26 | トラックバック

2004年09月05日

映画「父と暮せば」

8月24日(火)岩波ホール(東京・神保町)で話題の映画「父と暮せば」を観た。
午後2時からの回を観るのに1時すぎに窓口に。入れ替え制のためまずチケットを確保しておくのだ。訊くとギリギリに入場すると最前列の補助イスですという。急いで近所で昼食をとり、ホールへ戻る。入ってみると、ロビーに飲み物の自動販売機も椅子もあり、パンなど食べられるようだった。

開演前にアナウンスがあり、黒木監督が来場されているので挨拶を、という。ラッキー!
暑い中そしてオリンピックでお忙しい中を、と軽く笑わせ、短い挨拶をされた。
出演の宮沢さんと原田さんと広島と長崎へ行ったこと、核兵器はその後も大量に作られ存在する、少しでも減らすよう努力しましょう。また、このような地味な映画が大勢の方にこうして支持されることは、映画を作る若い人たちにも励みになるだろう。ありがとうございます。ごゆっくりご覧下さい。
簡潔にして力強いお話だった。

映画の内容については評も多くでているので省くが、原田芳雄と宮沢りえの軽妙な広島弁の会話のやりとりで、会場からはときどき笑いも起きていた。
しかし、舞台は1948年の広島である。
娘は「うちが生き残ったんが不自然なことやったんじゃ」と言い、娘の「あの日」の回想に父が「むごいことよの」と返すとき、言葉はずしりと重くなるのである。
父が、なぜ娘の前に姿を現したか話すセリフも美しく、もう一度聞きたいと思った。
舞台では観ていないのだが、この作品は井上ひさし作の戯曲をあまり変えていないと聞く。シーンは回想以外は一軒の家の中で、登場人物もほとんど二人、まるで舞台を観ているようだ。となると、この映画の芯はやはり言葉であろうか。

黒木監督はどうして原作からあまり離れずに映画化したのだろうか。それは監督の謙虚な意図かもしれない。
帰り道、耳に残る言葉とともに浮かび上がるあのシーンこのシーンに、改めて映像の力を感じ、監督のその意図は見事に成功していると思った。

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映画「父と暮らせば」(2004年/日本)
原作:井上ひさし「父と暮せば」(新潮社刊)
監督:黒木和雄
脚本:黒木和雄/池田眞也
キャスト:宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信ほか
岩波ホールにて上映中
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投稿者 蒼木そら : 01:17 | トラックバック