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2008年11月17日
思いがけず陽水(3)
BRUTUS 12/1号 マガジンハウス
「あなたに観てほしい映画」
「22人のシネマコンシェルジュ」の中に陽水の名が。
リレー形式のこの特集の中で、宮沢りえさんに、繰上和美氏と共に、オススメの映画を。
この三人の関係は、写真家の繰上氏が初めて監督をした映画の主役と主題歌の提供者、らしい。
だから、その作品についてのお話が多い。
映画のタイトルは「ゼラチンシルバーLOVE」。来年公開だそうです。
てことは、新曲?ですよね!
2008年11月16日
“筑紫さんの遺した”「最後のニュース」
2008年11月7日 ジャーナリストの筑紫哲也さんが亡くなりました。
通夜の弔問におとづれる親しい方たちの中に陽水の姿が。ネットで見た新聞の写真ですが、なんとも悲痛な表情でした。恐らくマスコミが待っていると知ってのサングラス、その中の伏せた目と結んだ口元にやりきれない悲しみが漂っていました。
どうしてこのようなときに写真を撮るのでしょうね!
ファンなら誰しも、思ったことでしょう。
「陽水の現状を知りたい見たいとは思っていたけれど、こんな場面で見るとは!」と。
「最後のニュース」が「筑紫哲也ニュース23」の最初のエンディング曲だったことはよく知られていますが、もっと前のニュース番組「日曜夕刊こちらデスク」(テレビ朝日)が終わるときに、陽水は筑紫さんに招かれて番組で唄ったのですよね。
わたしは観なかったけれど、『ラインダンス』(新潮文庫)のあとがきに、「わからない」と題して沢木耕太郎氏がそのときの様子を書いています。それによると、「ワカンナイ」が電波に載ったのは、このときが初めてのようですが、このころ既に筑紫さんとは“親交があった”のでしょう。そして陽水のファンでおられた。
この「こちらデスク」の最終回とは1982年9月です。永い永い年月にわたっていたのですね。
そんなことを思いながら、11日の追悼番組のそれこそ最後に唄われた「最後のニュース」を聴きました。
力強く畳み込む歌唱は、溢れる感情を、伝える力に変えて、わたしたちに届きました。うたうひとの悲しみを想って、涙ながらに聴いた全国のファンのわたしはひとりです。
筑紫さんが亡くなってさまざまなコメントを聞く中で、心に残ったのは、TBSの追悼番組の前日だったか、日本テレビの午後のワイドショーで聞いたものです。
「帰属意識のないひとだった」と。だから自由で、だからいつも「らしくない」方だったのですね。
上記の「追悼番組」とは「ガンとの闘い500日… 筑紫さんが遺したもの」(TBS)(2008年11月11日)
この番組でも、筑紫さんの差別のない間口の広さと深さが、アーチストの方たちにたたえられていました。さまざまな分野のゲストを呼んで、ライヴやお話を聞かせてもらいましたものね。
最後の「多事争論」は、録画を消せないであります。日本はどういう状況にあるのか、明快な分析でした。ではどうすればよいのか、今後もうかがいたかったです。
早すぎるお別れがつくづく惜しまれます。