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2004年11月28日

「ダ・ヴィンチ コード」上下 Dan Brown著 越前敏弥訳

 知識なければないなりに読めます

 書店へ行ったら、まだこの本がベスト20の棚に並んでいた。私も朝日新聞の記事「パリ観光客異変」(掲載日失念)で知って読んだ口で、だいぶ遅かったのだが。
 世界史にも美術にもキリスト教にもおまけに地理にもうとい。でも飛ばし読みなら得意である。なんとかなるだろうと読み始めた。

 まず最初に「事実」なる頁があり、その最後の行にこう書かれている。
 「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている。」
 多くの読者は、読み進めるうちに何度もこの文言を思い出して、驚くのではないだろうか。本当に「事実」なのか?と。

 いきなりルーブル美術館の「館長」が殺される。残されたダイイング・メッセージが最初の暗号である。解く資格のあるものにだけ解かれることを願ったメッセージ。
 面識さえないアメリカの学者がそれを託された者なのか?女性捜査官とともに解読に立ち向かうが、追われる身になってしまう。
 暗号に次ぐ暗号、ヒントからヒントへ、敵か味方か、ゴールはどこか、あるいは何か?展開が速いので立ち止って考える間もなく、時間的にも空間的にも大掛かりな探し物ゲームに巻き込まれ、思いがけない解答にたどりつく。
 巨大な薀蓄を伴った活劇とでも言おうか。そのスピード感と解答の手触りの落差が面白い。

 もちろん、知識のあるほうが楽しめるだろう。パリ、ロンドンと主人公たちと空間を共有したり、あるいは著者の薀蓄に異議をとなえたりできれば。
 こまごまと検証するもよし、知らないことは想像力で補い一気に読むもよし、どちらの読み手にも楽しめるところが売れている理由であろうか。

ダ・ヴィンチ・コード 上巻   2003年 アメリカ   2004年5月 角川書店ダ・ヴィンチ・コード 下巻   2003年 アメリカ   2004年5月 角川書店

投稿者 蒼木そら : 13:54 | トラックバック

2004年11月12日

映画「トゥー・ブラザーズ」

 「世界が泣いた!!」とチラシにあった。映画のキャッチコピーで多いのは「泣く」「恐い」「笑う」だが、このところ「泣く」が勝っているかもしれない。現にこれを観た小さな映画館のもうひとつの上映は「いま、会いにゆきます」だった。これも「泣ける」映画らしい。「世界の中心で愛を叫ぶ」といい、みんなそんなに泣きたいのか?などと思う。それはさておき・・・・・。

 「トゥー・ブラザーズ」は若い友達(?)と観た。ずいぶん若い。小学校の三年生である。彼女は最近ゲームに夢中だ。映画も観るがどうしてもアニメになってしまう。アニメが悪いわけではないが、そろそろ実写の映画もどうだろう。なんとなくそんな気がして誘ったのが「クイール」だった。見終わってから、「ドラマなの?ほんとなの?」と何度も訊かれた。
 こんどの映画はは実写第2弾ということになる。親さんたちも承知してくれて、家でゲームのマニアルを読んでいたそうな彼女をなんとか連れだした。

 驚いたことに最初はジャングルの奥、雌雄の虎の求愛シーンである(隣の三年生が気になる)。よく撮ったものだ。そして2頭の子トラが生まれる。母に見守られて遊ぶ2匹が可愛い。舞台はカンボジア、アンコールの遺跡を盗みに?来たハンターがきっかけになり、父トラは殺され母も怪我をして生死不明。兄弟は別々に少年とハンターに引き取られ、それぞれサンガ、クマルと名づけられて暮らすのだが・・・・。

 サンガは愛してかばう少年(微笑ましい)から引き離され、クマルもやがてサーカスへ売られる。そして大人になった2匹は戦いの場で会う。闘牛ではなく闘虎とでもいうのだろうか。1匹は死ぬ残酷な遊びだ。e映画の観客だけが彼らが兄弟だと知っている。殺しあってしまうのか?思い出すのか?第一のクライマックスだ。
 感動の再会を果たして逃げる兄弟を追う人間たち。火を放たれ逃げ場がなくなったとき、サーカスで学んだクマルはサンガを助けて炎を跳ぶ。第二のクライマックス。そして少年とハンターが見守る中、ジャングルの奥深く去ってゆく2匹を迎えるのは・・・・。

 何度も映るアンコール・ワットの遠景、遺跡の残るジャングル、風景は大きい。本ものの虎を使った撮影も大変だったであろう。
 しかし、当たり前だが、映画の感動と資金の大小は比例しない。政治や人間の利害関係も絡めているが、壮大な景色、動物の愛らしさ美しさに負けて、ストーリーがおざなりである。
 子供にはどうだろうか。やはりストーリーが解りにくかったようだ。関心は当然、少年と子トラの愛情、クマルとサンガの行く末にあり、手に汗を握り、ほっとしたかもしれない。
 最初にチラシを見て、「虎を30匹も使ったんだって」と教えてしまったのを後悔した私は、終わってから、「クマルとサンガってほんとに兄弟なのかなぁ」と訊いてみた。彼女の返事は、「そうだよ、絶対!」であった。


映画「トゥー・ブラザーズ」 2004年 アメリカ
監督 脚本 原作 製作 ジャン=ジャック・アノー
出演 ガイ・ピアース(ハンター) フレディ・ハイモア(少年)
 

投稿者 蒼木そら : 00:21 | トラックバック

2004年11月11日

「月の砂漠をさばさばと」北村薫著 おーなり由子絵

北村薫が書いた母と子への本 

図書館へ、本を探しに行った(当たり前だが)。「日本の小説」の「き」の列をチェックしてこの本に会った。
 北村薫は好きなミステリ作家である。著書は全て読んでいると思っていたのに抜かりがあったのか。即、借りてきて読んだ。

 これはミステリではない。童話というのか、絵本というのか、「星の王子さま」のようにイラストがついている。小学生の女の子とお母さんの日々を描いた12の話。北村薫のユーモアのある筆致に、どの話もふふっと笑ってしまう。
 
 お母さんは作家なので、「ケーキ屋さんの子供」が「おうちのケーキを食べられる」ように、娘のさきちゃんはできたてのお話が聞ける。当意即妙、変幻自在なオリジナルお話。さきちゃんが作文に書いたら、先生が「あはは、おっかしい!」と書いて返してくれるような面白い話だったりする。
 言葉が伝わる母子なんだな、と思う。笑いを誘う言葉、思いがけない連想を誘う言葉。母と子はお互いに何を感じたのか想いあうふたりでもある。

 ”あとがき”のかわりの文、「さきちゃんとお母さんのこと」で、作者はこんなふうに書いている。
 「割合、普通に(というのも変ですが)、さきちゃんたちのように、お母さんとお子さんで、生活のチームを作っている方に、お会いします。」(中略)
 「そういうお宅では、《親子》の縦のつながりが《友達》の横のつながりに、より近づくような気がしました。」(後略)

 北村薫の作品には、素直で自分をしっかり持っている女の子や、いきいきと魅力的な働く女のひとが登場する。彼女たちの心の動きがとてもリアルなので、この作家をずっと女性だと思っていたほどだ。上の文を読んで、このような優しい目での観察があってのことかと腑に落ちた。
 これは、「チームを作って」暮らしている母と子への素敵な応援歌である。

買うべきは単行本か?文庫か? 

 さて、図書館に本を返して、その足で書店へ行った。ところが単行本はなく、新潮文庫版があった。すぐ手に入れたい、でも「星の王子さま」を文庫でもちたいか?迷いつつめくったオマケ、文庫化するときの「解説」が大ヒットであった。
 
梨木果歩「日常を守護する」

 「ミステリのことはあまり知らない」梨木さんは、ある児童文学関係の雑誌で初めて北村薫の作品に会ったという。それがこの本に収録されている「くまの名前」である。一読して「細部にわたるリアリティに、日常生活に対する、確信犯といってもいいような確固たる意志を持った愛情」を感じ、「作家本人の世界観まで好ましく思える作品」 と述べている。
 ミステリの解説ではないから謎や推理の組み立てにとらわれず、それでいて、この本についてだけでなく、北村薫の作品世界の本質的な解説となっている。
 ファンなら読むべき一文である。

 これはもう、単行本も文庫も持つしかない。一冊は「チームを組んで」暮らしてきて(さきちゃんのお母さんのような心のゆとりはなかった。後悔)、いまは2人の女の子の母となっている娘に贈ろうか。

「月の砂漠をさばさばと」 北村薫著 おーなり由子絵
     1999年8月 新潮社

月の砂漠をさばさばと

    「月の砂漠をさばさばと」北村薫著 おーなり由子絵
     2002年7月 新潮文庫

投稿者 蒼木そら : 01:11 | トラックバック

2004年11月02日

かしこい猫

 今日は穏やかな快晴。午後県道(通称行幸道路)の歩道を歩いていると、反対側の歩道からいまにも横断しようという姿勢の猫が見えた。太目の茶トラ。
 車の流れはかなり多い。危ない!と思うがどうしようもない。ところがその茶トラ、車のとだえた隙に、さっと横断してきました。ちゃんと左右の流れを見ていたんだね。
 ほっとしたら、こんどは歩道を自転車が。彼(彼女)はとっさに立ち止って避け、悠々とそばの家の庭に入っていった。停めてある車のタイヤの匂いなんかちょっと嗅いだりして。

投稿者 蒼木そら : 19:14 | トラックバック