2011年06月26日

「三谷幸喜大感謝祭」とりあえず3舞台

  今年2011年は脚本家三谷幸喜の生誕50周年ということで、「大感謝祭」開催中である。1年間に舞台、ドラマ、映画、小説の計7作が公開されるらしい。

  とりあえず舞台3本を観た。

  1月15日(日)「ろくでなし啄木」 
  東京芸術劇場 出演:藤原竜也 中村勘九郎 吹石一恵

  石川啄木と愛人と友人の旅先の一夜。
  若い実力俳優ふたりの闘いという印象。肉体を含めた演技の魅力。躍動。吹石は情緒がある。いまドラマ「高校生レストラン」に出ているが、好きな女優さんだ。嫌味がない。

  4月23日(土)「国民の映画」 神奈川芸術劇場(KAAT)
  出演:小日向文世 小林隆 段田安則 白井晃 石田ゆり子他
   ナチスドイツ、ヒットラーの重臣ゲッペルスは映画を愛している。映画についての知識は誰にも負けない執事、そして、一夜のパーティーにさまざまな思惑を胸に集まった人々。
  芸術か政治か。普遍的なテーマをもった舞台。パルコでのチケットが買えなくて横浜で観たが、東京では思いつかなかった台詞が加えられていると、三谷氏はエッセイに書いていた。小林隆のあの台詞ね。

  6月14日(火)「ベッジ・パードン」 世田谷パブリックシアター
  出演:野村萬斎 深津絵里 大泉洋 浦井健治 浅野和之

  これまでの3作でもっともコメディー度が高い。震災のあとで、喜劇に直したと、やはりエッセイにあった。でもその笑いは、脚本のおかしさより、配役の仕掛けのせいが大きいような(上演中なので詳しくは書かない)。観客は初めからよく笑っていた。
  この舞台のチケットも激戦で、最後に補助席解放というので平日の夜をやっと。座りにくい椅子での3時間弱。しかも遠いので表情が見えない。
  でもラストシーンで苦労が報われた(笑)と思った。
  
  

投稿者 きさら先 : 19:58

2010年12月29日

小曽根真 クリスマスジャズナイト

2010年12月20日(月)19時開演
bunkamuraオーチャードホール

  昨年のクリスマスコンサートが楽しかったので、今年も。
  照明が消えて一瞬の間ののち、客席にスポットライトが当たる。通路に小曽根真が立っている。歓声、拍手。そこで挨拶(だったかな)。
  また別の場所にライト。客席の前後を仕切る通路に大勢のホーンたち。きらきらと。わくわくするオープニングだった。

  No Name Horses は15,6人の大編成。小曽根のピアノとドラム、ウッドベース。1部では客席から塩谷哲を呼んで、連弾も。
  観客に掛け声の分担もあり、楽しい演出。

  2部はサキソフォンの名手マルサリスさん。小曽根との掛け合いが楽しい。途中からNo Name Horses も加わり歌い上げ、ソロを聞かせる。ジャズの楽しさって掛け合いと即興のソロだものね。

  最後には、昼間は帝劇でモーツアルトを演じて来たという、井上芳雄まで客席から舞台に上げ、クリスマス キャロルを。(来年の井上ひさし追悼公演の宣伝?)
  昨年は“HAPPY X'MAS(WAR IS OVER)"を観客全員で歌ったが、今年はステージで楽器とヴォーカルの競演で聴く。

  終わったのは3時間近く経っていたかも。時を忘れる楽しいコンサートだった。年末恒例のこの公演、来演はオーチャードホールの改装のためとかで、お休みだそうです。

投稿者 きさら先 : 19:46

2004年10月11日

夜からの声 山田太一作

「夜からの声」紀伊国屋ホール2004年9月21日~10月2日

地人会公演 
作:山田太一 演出:木村光一 装置:高田一郎
出演: 風間杜夫 西山水木 佐古真弓 花王おさむ 倉野章子 長谷川博己

 幕が開くとマンションのリビングルーム。休日の午前、仕事をしたまま寝込んでしまったという風情で風間杜夫がソファから起きだしたところである。和服姿の妻西山水木がバタバタと登場する。明るく賑やか。和服は勤め先の居酒屋チェーンの制服であり、西山はパートながら重用され、今日も他店の指導に出勤するところという。娘佐古真弓(20代?)も、あれこれ母親とやりとりのあと出かける。
 ありがちな休日の朝の風景である。しかし、このごく普通(に見える)家庭は、突然訪れる来客によって思いがけない人間関係に巻き込まれてゆく。

 訪問者はタウン誌の取材という紫色の服の女性倉野章子。話すうちにその取材というのはニセの口実で、風間にあることを訊きに来たのだとわかる。
 倉野の息子長谷川博己が詫びにきたり、妻の父花王おさむも登場し、舞台はしばしば笑いを引き出しながら、いったい何があったのかという謎をはらんで進行する。家族にも内緒で電話相談のボランティアをしている風間、自殺した倉野の夫は死の直前にかけた電話で彼に何を話したのだろうか。非常識な行動は病気のせいだと診断された倉野は入院して治療を受けることになる。

 休憩をはさんでの第二幕、快癒した倉野(明るいグリーンの服)と息子の長谷川が訪れる。「もうぜーんぶ忘れた」と不自然なほど明るい倉野。周りのみなもそれを口々に喜ぶ。しかし、そのとき風間杜夫が「それでいいのか」と言い出す。止める周囲に被いかぶせるように一気に事実を話し始める。いつのまにか風間は倉野の夫となって語る。この成り変りにもっていく迫力ある演技に引き込まれ、息を詰めて見入る。
 それに続く倉野章子の長い告白には、新たな人物夫の父が登場する。観るものは舅の介護という一般的な概念でははかれないこまやかな心の機微を知る。重くなった場を全員の告白ごっこ(?)で和ませ、舞台中心は一段と親しみを深めた場面が展開する。
 しかし、まだ心の奥にあることを話そうとしてとめられ、ひとりベランダに出て草花を見る倉野。彼女に声をかけて風間が「大丈夫じゃないけど」と言って舞台は終わる。

 誰もが奥の奥に隠している深い悲しみ、それでもなんとか折り合いをつけて生きてゆく人間の宿命のようなものを感じずにはいられなかった。
 95年に上演された心に残る舞台「夜中に起きているのは」で、ペンションの女主人八千草薫が言う「わかるわ、大丈夫よ」。今回の「大丈夫じゃないけど」はこれに呼応しているのであろうか?

 なお、「夜からの声」のパンフレットには、「山田太一戯曲上演年譜」が劇評いりで載っている。地人会以外のプロデュースのものも網羅しているのが嬉しい。

投稿者 蒼木そら : 20:31 | トラックバック