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2005年07月24日

清志郎・陽水「忙しすぎたから」&「帰れない二人」 

 忌野清志郎Live『2005★GOD Presents ROMANCE GRAY35』のDVDで忌野清志郎と井上陽水が歌う「忙しすぎたから」と「帰れない二人」を観た。
 2005年3月2,3,4,5日と4日間に渡って東京渋谷のPARCO劇場で行われたLiveのDVD化である。2枚組みで合わせて3時間半強。一日のステージが3時間もと聞いた気がするので、ずいぶんカットされているのだろうが、清志郎と陽水のデュエットが2曲はいっているのは嬉しい。
 陽水はギターを抱えて「えー・・・」とはじまる独特の話術で観客を笑わせる。35年前にこの劇場に近いライヴハウスではじめて清志郎に会ったと話して清志郎を呼ぶ。このライヴハウス「青い森」(?)のことは仲井戸麗市も次の日の録画で話題にし、彼らの共有している記憶を想像させられた。
 ロック一色の空気は陽水のふわっとした存在感にやわらいだ感じ。「忙しすぎたから」も3月7日にRCサクセションのCDで聴いたものとはまた違った大人の味わいで、微笑を誘う。
 「帰れない二人」は、陽水の歌う一番は聴きなれているせいか、むしろ清志郎の歌う二番でしんみり、最後の二人のコーラスにぞくっとした。
 Disc1で「いちばん熱いLove Song」といって歌った「Baby 何もかも」の前に、清志郎が観客に呼びかける、戦争、イラク、恐ろしい、などの言葉に、陽水が2002年から2003年のツアーで「L-O-V-E」を歌ったことなど思いだした。ふたりは表現方法は違っていても、共通した気分があるのかもしれない。シャイなふたりが交わす笑顔にそんな雰囲気があった。たとえ映像でも、見られて幸せ。
 まだDisc1と、2の清志郎・陽水シーンを観ただけだが、凄いイベントだったのだ。清志郎は歌い打ち弾き跳びはねる、ロックの神が乗り移ったように。この4日間のフェスティバル、ファンはどんなに嬉しかったことだろうか。
 陽水はデビュー何年になるのか。アンドレ・カンドレとしてのデビューは1969年、井上陽水「人生が二度あれば」(シングル)「断絶」(アルバム)が1972年。間をとって(笑い)今年あたり35周年?ひとつ華やかにお祝いをいかがでしょうか。
 

投稿者 蒼木そら : 2005年07月24日 23:59

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コメント

 DVDは観ていませんが そらさんが仰る様に 二人の共通点が底の方に流れているものに お互い引き合うのを感じます。清志郎さんを知ったのは姉が聴いていたRCサクセションの「ぼくの好きな先生」「スローバラード」で「スローバラード」は今でも好きです。以来あまり聴くことはなかったのですが人間としてとても興味深い。反戦分子的な部分 一筋縄ではいかなそうな斜めから視ている部分 そしてシャイな部分に。陽水さん同様 色んな面を持っているの人だと思います。
 陽水さんの35年という数字にその位経っているんだなぁと。私の場合初めて知ったのはラジオから流れていた「紙飛行機」ヤマハのポプコンで最初で最後のコンテストに出場した時だと思います。そうなるともっと経っているのかなぁ。深夜やっと届く電波にのって かすかに流れてきた生ギターの曲と歌が頭から離れなかった。今ほど情報も少ない時代に 純粋に自分の中でそれはたちまち広がった。以来の年月を思うと 歳は勝手にとってゆくものだけど 私は今の自分が一番好きですね。そして何よりすごいのは 裏切ることなく私の傍に陽水さんの曲があることです。長くてゴメン・・・ネ。

投稿者 MISAKO : 2005年07月25日 19:10

今晩は

共通点について気持ちを汲み取っていただいて嬉しいです。

MISAKOさんの陽水歴は永いのですね~。ポプコンは1972年のようです。年代を調べては書くのに、さっぱり覚えなくて、また調べました。

投稿者 蒼木そら : 2005年07月26日 00:09

1972年でしたか。わざわざありがとうございました。確かになが~い!と実感!移り気な私が 唯一飽きなかった貴重なミュージシャン。

投稿者 MISAKO : 2005年07月26日 11:35

私が初めて陽水を聞いたのが、高校3年の夏、片想いの初恋の最中でした。
〜いかなくちゃ 君に会いにいかなくちゃ〜
切なくて、切なくて、頭の中は彼女のことでいっぱいでした。
〜ボクの胸は、君でいっぱいでこわれそうだ〜
いままで聞いたことのない声。あの陽水の声はとにかくスゴイのです。
どんな曲でも、あの声で歌われたら全部名曲なのです。
初恋も実らず大学2年になり、陽水の「氷の世界」が大ヒットです。
断絶、センチメンタル、氷の世界のアルバムは何百回聞いたことか?
二色の独楽、招待状のないショーまでは陽水ワールドにドップリと浸かっていました。
それから、社会人にもなり、仕事も忙しくなり、約20年近く陽水から離れてしまいました。

今、一番好きな曲は、「決められたリズム」です。
もう一度17歳の自分にもどしてもらえた曲でした。
とにかく、陽水は私にとって「岡本太郎」なのです。

投稿者 JUN : 2005年07月26日 12:48

JUNさま

 いらっしゃいませ。コメントありがとうございます。

>断絶、センチメンタル、氷の世界のアルバムは何百回聞いたことか?

 30cmLPが廻るさまをが見えるようで、じーんとしました。
陽水ファンはみなさん芸歴、じゃなくてファン歴が永いですね。JUNさんのように、いったんお休みしてもまた戻って来たり。

「決められたリズム」はわたしも好きです。
「少年時代」のように残ってゆく曲だと思います。

投稿者 蒼木そら : 2005年07月27日 23:45

迷い込んでここにきました。私は中学時代に陽水のセンチメンタルで音楽の洗礼をうけました。時は氷の世界が大ヒットしていました。ギターを始め、帰れないふたりの楽譜にある忌野清志郎って誰?と思っていました。その後、二色の独楽で邦楽をはなれ、洋楽ロックに移りました。邦楽はセンチな陽水以外に心が震えなかったのです。20歳のころRCサクセションがブレークした時、清志郎のガム吐きをTVで見て、また猥褻な歌詞にチョット違うな と思いました。そのころ国立のたまらん坂付近に縁があって不思議と清志郎の近くにいたんですが、さしてRCは好きでなかったのです。30歳になったころ清志郎のパパの歌が職場で毎日流れていて、清志郎は変わってきたな と思っていました。
さて、時は流れ音楽とは疎遠になっていましたが、清志郎が亡くなったのをきっかけにふと、映像をネットで見ました。今、私は50歳になりましたが、清志郎の素晴らしさに打ちのめされました。30年の間、清志郎を遠くで眺めていたのを悔やんでおります。私の友人の兄が22歳の頃に清志郎と同じ職場でバイトをしていたそうです。必ずや成功してやると話していた清志郎。私の少年時代から青年期に心をふるわせた陽水。素晴らしい子供の大人になって愛を歌う清志郎。清志郎最期のメッセージ「愛を謳おう」。陽水とのデュエット、、、。

投稿者 ウーロン茶 : 2011年01月16日 22:00

ウーロン茶さま

このような宇宙の片隅へようこそ!

清志郎はほんとに魅力がありますよね。
観客はきっとずーっと立っているんだろうな、とか思って、ライヴは観たことがなかったのを悔やんでいます。

陽水は折にふれて清志郎のことを、人間として上質なひと、というふうに言っています。

>「愛を謳おう」
「妖怪大戦争」ですね。

ふたりで共演する場面を、もっともっと観たかったです。

さき(改名しました)

投稿者 きさら先 : 2011年01月18日 00:57

What a lovely day for a 3572977! SCK was here

投稿者 3572977 : 2011年05月19日 12:14